<抜粋>
※法を破って薩摩守(薩摩守忠度=ただ乗り)p24
※韓国でも日本は台湾と同様の統治をしたと思いますが、韓国は日本にありがとうと言ったことはないようですね。良いことをしてもらってどうして感謝しないのでしょうか。私はそれが不思議で仕方がありません。 p52
※明治天皇の御製に「新高の山のふもとの民草も 茂りまさると聞くぞうれしき」新高というのは台湾の代名詞です。
台湾では「日本」というのは今でも褒め言葉に使われているのです。
また「日本精神」といったら、義理が堅いこと、それと約束を絶対に守ること、嘘を言わないこと。 p74
※学校では戦前は毎月一日の興亜奉公日に日の丸弁当を持って行ったのですが、大東亜戦争が始まってからは毎日日の丸弁当になりました。兵隊さんが苦労しているのに、私たちだけが贅沢できないということからでした。 p113
※(軍のトラックをヒッチハイクして私を見て父が)「日本の兵隊さんだったら大丈夫。」それだけ兵隊さんというのは信用されていたのです。今の子どもでそういう風に兵隊さんになつく子どもは非トリオ以内でしょう。それに、子どもの面倒を見てくれる兵隊さんというのも恐らく以内と思います。 p169
※戦後来た中国の先生でも尊敬できる人はいました。 p190
※p230~232 全体的に凄い