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中国・歴史への旅 2 (天竺熱風録の書評)

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さて誰も興味がないと思われる中国歴史への旅。
需要はないでしょうが自分自身のために書き込んでしまいます。

前回の続きです。
物語の主人公「王玄策」は当時としては異例の
活躍をするのですが、実際問題官位が低いために
その記述は正史において単独の列伝を与えられなかった
ということです。

それでも他国の歴史書に比べてたら十二分に詳細が
書かれていますね。

さて、唐の時代は本当に華やかな時代でありましたが、
中国史においてもう一つ文化的にも重要である華やかな
時代がありました。それが宋の時代です。

宋の時代は日本で言えば室町時代に匹敵します。
司馬遼太郎さんは室町時代を評して

「我らみな、室町文化の子」

という表現を用いていました。その理由として室町文化が
今日の我々の生活における雛形になったと考えられるからです。

室町文化は現在の日本の「伝統」の原型ともいえるものです。
例えば、4畳半の畳の部屋や床の間に掛け軸、枯山水をもした
風情のある日本庭園など現在の和風といわれるものの原型は
この室町時代の東山文化に端を発しております。

また、食生活にしても一日二食から、今日と同じく
朝昼晩の一日三食になり、蕎麦といった伝統的な
日本食もこの時代から始まりました。

さて、宋が日本で言う室町時代であるなら唐に該当
しうるものも当然存在します。それが平安時代です。

平安時代は唐と同じく文化的に趨勢を極めます。
貴族文化が繁栄し文化的な成熟は日本史上に大きな影響を
及ぼします。宮廷では和歌と言った雅な詩が読まれ、
世界最古の長編小説である源氏物語も生み出されます。

そんな平安時代でありますが、和歌にしろ、十二単にしろ、
寝殿造りの建築物にしろ現在に直接我々の生活に根ざして
いるものはありません。もちろん伝統文化として大切に
継続しているものもありますが、それらは我々の日常生活とは
大いにかけ離れた非日常の文化でもあります。

日本の平安・室町を対比してみるとこれら唐と宋の相違が
容易に理解できるかと思います。唐の時代は貴族文化の興隆が
最盛を迎え、まさに宮廷文化は花盛りでありました。

である一方、まだまだ古代からの影響も色濃く残っており、
例えば政治にしても科挙は始まっておりましたが、王朝の
中枢は科挙組と政権を樹立した実力ある臣下による貴族・豪族組
とに別れており、政治の中枢へ試験に合格したからといった
科挙組が入ることはなかなか困難でありました。

元勲の子供や孫だというわけで幅をきかせた名門一家
による貴族政治などもまだまだ当たり前のこととして
見られていたワケです。

さて、次回は文化的に成熟したこの二つの時代
「唐と宋・平安と室町」
の何が違うかを説明したいと思います。

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