◆教養・歴史 社会・時事

日本社会では同性愛は容認されている

投稿日:

以前書いたかもしれないが、日本社会では同性愛は容認されている。

アメリカなどのキリスト教国家では同性愛者同士の結婚が認められている一方で、日本では同性愛者の結婚が認められてないから、いかにも西洋諸国が進んでいるように感じるがはっきり言って全く逆である。

歴史的に日本は同性愛に寛容だった。というか、むしろ時の権力者が率先して大々的にやっていた。日本史の中で信長にしても義経にしても大体の歴史上の偉人は衆道(暖色)に染まっていた。戦国時代でゲイでなかったのは秀吉ぐらいでその秀吉がゲイでないのは農民出身だからだろう。

ちなみに徳川家光バイセクシャルであるが、あまりに衆道にのめり込み女性を抱かずに世継ぎを生まなかったために危うく徳川将軍家断絶の危機となった。世継ぎを産ませる為に春日局が大変苦労をしたのだとか。

この家光の出来事は2つの事を教えてくれる。日本では歴史的に同性愛が時の為政者も行う普通の事として社会的に寛容であったこと。その一方で、同性愛は社会システムを壊す恐れ(家族の消滅、一族の断絶・人類の滅亡)があるために積極的に奨励できないということである。まあ「煙草吸いたい人はご自由にどうぞ。ただ、他人には勧めないでね。」という感じであろうか。

日本はキリスト教国家と違い性に対して寛容であった(同性愛とか処女性とか)だから多少の偏見はあっても同性愛者には生きやすい世の中だと思う。例えば、アメリカの場合「ブローバック・マウンテン」という映画を見るとわかるが、同性愛者が「同性愛者だから」という理由で普通に殺されている。アメリカの田舎では同性愛という存在自体が許されないのだろう。

ゲイやレズビアンに寛容だと言ってたりするのはニューヨークとかの大都市や民主党などリベラル志向の強いカリフォルニアやボストンなどの都市だ。

そもそもキリスト教、というかキリスト教を操る教会この教会が悪の根源である。中世ヨーロッパではキリスト教会のせいで、全寮制の中高一貫校の寮生活の様に生活がガチガチに管理されており特に性に対する指導が半端なかった。

例えば、子作り以外の目的の(つまり快楽のため)性行為は夫婦で言えどもしてはならないなど細かく規定されていた。そのぐらいガチガチなのであるから、もちろんギリシ・ローマ時代には当たり前であった同性愛など言語道断の神をも恐れぬ行為であった。

キリスト教国家にとっては同性愛とはそういった宗教的なタブーであり人間としての欠陥であるのだ。そういった意味で西欧社会で同性愛が容認されてきているのを見るとまた違った視点で捉えることができる。日本のような信長や家光など権力者が同性愛者であった国家とは歴史的文化的に同性愛に対するイメージがあまりに違いすぎるのである。

じゃあ、日本は同性愛者に対して寛容な社会だから同性愛の結婚をすぐに認めるべきか?となると別問題となる。

日本は憲法によって治められる法治国家である。そして現代は法律に基づいて様々な処置が行われている。しかし現在の法律は同性愛を想定して作られていない。したがって法律の不備に対して同性愛者へのサポートをする必要はあると思う。

日本社会で同性愛者が不都合なことといえば、法的に家族関係になれないことだ。だから現在、同性愛者は結婚することができない。これによって現実的な不都合が生じている。結婚することによって発生する権利を行使することができないのだ。

例えば遺産関係の相続は今まで養子縁組するなど親子関係になることで遺産配分が行えるなどしてきた。ただ、事故にあって意識不明になった際の医師による親族への手術の承認や親族のみが行える保証人問題など法的な手続きが必要なものは、一緒に住んでいるだけでは実質的に行えない。したがって、結婚制度のマイノリティーの人たちへの法的不備を補う保障をすることが必要である。

それならば「同性愛者の結婚を法的に認めるべきか?」と問われれば私は「ノー」と言いたい。同性結婚は認めるべきではないが、実質結婚しいるのと等しい結婚の権利を認めるべきであると言いたいのである。

私は同性愛に対しては別にどうとも思わないが、ただ「全人類が同性愛者になったら」ということを考えると、それは「人類が滅亡する」という結果を引き起こすことになる。

それを踏まえると同性愛に対して「積極的に賛成はできない」と思う。ちなみに「全人類が菜食主義者になった」としても「人類は滅亡しない」からこの問題は深刻である。

あくまで結婚、つまり婚姻関係とは子孫を残すシステムであって子孫を残さない同性愛は結婚ではないと思うからである。これは逆に言うと「結婚の本質とは子作りである」と言い切ることができてしまう。そこまで深く結婚を考えたことがなかったが、そういうことになるんだろう。

★まとめ

長々となったがまとめると、日本社会は欧米に比べて同性愛に歴史的に寛容であったが、結婚による法的権利が同性愛者には認められていない。その為に政府は急いで同性愛者の法的権利を守る法律の整備をすべきである。

ただし、それは同性愛者の結婚を認めるということでなく、あくまで結婚と同等の事実婚の権利を有するという形にすべきである。なぜなら、同性愛は人類を動物としてみた場合、子孫繁栄ができないイレギュラーな存在だからである。

なお私は同性愛者ではないが歴史的な経緯からして日本社会が同性愛者へ寛容であったように個人として接する分には一個人として普通に接するつもりである。

というかアメリカにいた時はゲイとかレズとか普通に周りにいたし、彼らはおおっぴらに周囲にカミングアウトしてたけど何も問題なかった。それどころか、知らずに友人関係を築いていて、後で周りに「彼はゲイだよ」と言われて「え、知らんかった!」と驚いた後も、別に私と彼の友人関係は何も変わらなかったのである。

 

-◆教養・歴史, 社会・時事

Copyright© 楊屋商店 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.