『天竺熱風録』をよんだ
というわけで授業が忙しくなる前にやっつけ中国史です。
自分はやっぱり本を読む速度が遅くて困っています。
この本は実在する「王玄策」という人物を元に脚色した
歴史物語です。おもしろいのかと言われれば回答の変わり
とさせてもらうに
「挿し絵を藤田和日郎、あとがきに加藤徹が書いている」
と言わせてもらえば如何にといった感じでしょうか。
(二人ともマイナーですが、すごい人です。)
舞台は中国、それも大唐帝国の時代です。
西遊記の三蔵法師こと玄奘がちょうどインドから
中国に帰ってくる間に中国からインドへ唐の正使
として赴いたのが王玄策と言えばわかりやすいの
でしょうか。
ちなみに王玄策は私もこの作品で初めて知った
マイナー人物です。
物語自体もおもしろかったのですが、この作品で
一番おもしろかったのは久しぶりに歴史にふれられ
たことです。
最近はコンテンポラリーな現代の時事問題(しかも英文)
にしかあたっていなかったのでこの歴史の匂い香る
作品は非常に古くさいかび臭さもありましたが楽しむ
ことができました。
唐の時代は中国の歴史の中で華やかな時代の一つです。
特にシルクロードが整備をされたため歴史的にみても
中国史の中で一番国際色豊かな時代であることは
間違いありません。
特にシルクロードの玄関となる中国の西方にある長安が
首都であることもその原因の一つにあげられると思います。
これ以降長安が中国の中心になることはありません。
唐の時代は日本で言う平安時代に似ています。
短歌や十二単など貴族の雅やかな文化が成熟した
ように唐においても盛唐の時代にその文化的な
頂点を極めました。
杜甫、李白から楊貴妃まで時代を彩る人物に
飽きがございません。
こんな時代に三蔵法師こと玄奘は王朝の再三の
制止を無視してガンダーラに向けて旅立ったの
ですね。
当時無断の国外出国は死刑でありましたから
玄奘の決意は悲壮たるものであったでしょうね。
命を賭けてまで学問を追究する。
どこかの誰かさんに聞かせたい話ですね。
玄奘について少し言及させていただけば彼は
後世のにおける「西遊記」において多少歪曲された
人物になっておりますね。
中国側が彼のことを初めて認識したのは
インドからの国使からですね。天竺の使者が
「唐の玄奘仏僧は素晴らしい人物ですな」
といったことから唐が初めて彼の消息を
えることになります。
天竺に赴き貪欲なまでに勉学を開始した玄奘は
あっというまに当時の天竺においても最高の仏僧に
なります。ネイティブインド人を差し置いて本場で
最高の仏僧になるとは尋常なことではありません。
とはある日本人在米留学生の言です。
シルクロードを経由して商人達から伝えられる
玄奘の噂は当時の長安の市民において非常に有名で
あったそうです。さぞかし長安市民は鼻を高くした
ことでしょう。
そんな現状を玄奘は知らないことに、彼はゆっくりと
帰国をし、そして中国の国境で時の太宗にむけて
無断で出国したことを詫び、入国許可の申請をします。
国内において既に英雄となっていることを知りません。
当然入国申請は認められ、晴れて長安に帰還する
ことになるのですが、長安城に入場する際には
街をあげて市民総手の盛大な歓迎をもって迎え入れられた
そうです。それほど当時の長安市民にとって玄奘は誇りで
あったということなのでしょうね。
玄奘は当時における一番の秀才だけではなく、
身体面においても非常に優れた人物であったようで、
身長も当時としては非常に高い180センチを優に超え、
顔も相当なイケメンであったそうです。
そんな見た目に高僧という徳が手伝ってか、
彼のカリスマ性は非常に高く、行く先々の街や国、
そしてシルクロードのオアシスなどにおいてその国の
国王などから
「是非我が国にとどまって下さい」
と幾たびもお誘いを受けます。
そしてそのたびに中国に仏典を持ち帰ることを
説明し断ってきました。
彼のカリスマは中国史における白眉の一人である
太宗こと李世民の前でも例外ではなく、彼にして
「まつりごとを補佐するために仕えて欲しい」
という依頼をされます。
あ、長くなりそうなんでこの辺でやめますね。
ちなみに読んだ本には王玄策が主人公なので上
記の内容は全くかかれていません。ネタバレでは
ないので安心して下さい。
結局、主人公である王玄策の話までたどり着けなかった
ですね。脇道の三蔵の話が長すぎました。
では、再見。