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人の確信

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 生きている価値のない「生」ってあると思いますか?例えばですね、私が交通事故に合います。そして植物人間になります。一生意識は回復しないんです。それでも生かしていく意味があるのでしょうか?
 
 高齢化社会になり、こういうような問題に直面することもも増えてくるかと思います。

 私の祖母は90歳を過ぎて、80代はあんなに元気であったにもかかわらず、痴呆が進みました。自分の子供たちでさえ判断ができませんでした。そして、自分で食事も何もできない状態(赤ちゃんが母親にバーブーバーブーといいながら食事を食べさせてもらっている感じです)でした。

 まだ多少ぼけていて記憶が曖昧でも、自力で食事ができるとかそういったものならいいのかと思いますが、食事を自分でとれないぐらい思考能力が低下して脳の老化が進んだ場合、本当に人として「人の尊厳」として生きていく価値があるのだろうかと悩んでいます。

 もし、彼女の若い頃の意識が抜け出て、現在の自分の姿をみたらどう言うのでしょうか?それは誰にもわかりません。

 また、それとは違った問題として介護の問題もあります。介護は肉体的、心理的、そして経済的に残された家族にとって大きな問題です。生きていることで自分はおろか、他人さえも迷惑をかけている現状があります。実際経済的な負担は残された家族にとって大きな負担になっております。当然生命という崇高なものは金銭にすり変えられるものではありません。ありませんが、しかし、現実的な問題もあることもまた事実です。

 そういったことから、人の尊厳と命の価値といったものに対してちょっと考えてしまう今日この頃です。

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