今日は真面目に書いてみていいですか?たまには真面目に書いてみます。ということで今日は真面目な文章を書いてみます。
アメリカに来てよく学校の友達に専攻を聞かれると「Asian studies」というと「やっぱりねぇ」という感じな顔をされます。カリフォルニアで「スペイン語を勉強するんだ」ぐらいやっぱりねえという感じなのでしょう。
ただ、「アメリカまで来てどうしてアジア学なの?」みたいな至極最もなことを時折聞いてくる人もいるので私はあまりアジア専攻と言うのが好きではありません。
しかも更に勘違いしてるのがアジア専攻の「日本」をメインとしていると考えられていることです。はっきり言って私はドメスティックな話は全く興味がないので困るんですね。まあ「中国専攻なのよ」というと結構驚かれます。
というわけで最近では私は専攻は?と聞かれると「米国外交なの(U.S. foreign policy)」と応えています。うちの学校には米国外交の専攻がないので「あれれ??」という顔をされます。そこですかさず「それでねぇ、その中でも対中外交政策を研究しているのよ」と言っています。
ええと、全然真面目な話になってないですね。そうそう、それで私はどうして中国に興味があるかということですね。
というわけで宗教を用いて他国との対比をしながら中国について説明してみたいと思います。
宗教というのは私は基本的に人が精神が崩壊するときに心の拠り所にするものであると考えています。そのため宗教がない場合は当然精神安定剤として宗教を作り出されます。宗教の誕生ですね。
例えばユダヤ教、パレスティーナの乳と蜜の流れる豊饒な土地ですから古代から多くの強国の侵略を受けてきました。弱小国であったユダヤ人はその度にエジプトやバビロンといった所に民族丸ごと奴隷となるという経験を受けてきました。どんなに真面目に生活していても他民族の侵略を受け自分達が常に不幸になる、報われない。ユダヤ人はこの疑問に宗教を作りだすことで解答を導き出します。
「自分たちが受難に見舞われているのは神の試練であり我々は神に選ばれた民族なのだ」
自らの苦難を納得するために何とも幸せ思考といっていい選民思想を生み出しました。でなければとても精神を正常に保てなかったのでしょう。
まあ、大抵古代の文明では王の他に宗教的儀式を行う神官が大きな権力を持っていますね。そういったことから見ても古代において宗教は最も人々の精神的な生活の主柱となっていたと考えて差し支えありません。
さて、所変わってお隣の中国です。この国では宗教はどのように発展したのでしょうか?もちろん中国にも宗教のような精神的な安定剤になりうる言葉が存在します。例えば「天道親なし、常に善人に与みす」というのは因果律に基づいた善人が報われる論理を表現するものです。
ただし現実はやはり甘くはありません。キリストの誕生の200年前ほどの司馬遷の『史記・伯夷列伝』において
『天道是邪非邪 (天道は是か非か?)』
「善人と言われる伯夷・叔斉が餓死して、天下の大盗賊であった盜跖が幸福な人生を送り長寿を全うした。天は本当に平等なのだろうか?」という文章があります。この文章からはユダヤ人と同じく人生における苦悩の一端が見受けられます。それでは中国においてはこの人生の憤りと言える問題をどのように解決したのでしょうか。
ここで中国の凄いところは安易に宗教に結びつけないところです。このある種「永遠」と言える哲学的テーマにガチンコでぶつかり合い格闘し、その後の二千年にも及ぶ歴史において常に向き合っていると言うことですね。誰もがこの命題に苦しみながら自分自身で解答を見つけ出そうと試みているんです。中国人の歴史観の根底にはこの考えがあります。奥が深いです。とても現在の中国に行くと町中に歩いている人民がそう思っているとは思えないのですが・・・・
中国は大陸的な国家の特徴である徹底的なリアリズム国家(特に北方の騎馬民族のおかげで)でありますが、紀元前にこういう合理主義が行われていることは本当にギリシア・ローマ思想史における強力なアンチテーゼとなると思います。また古代における超国家としてもっと西洋においても評価されるべきだと思います。
以上を踏まえると中国が如何に凄い国かということが実感していただけると思います。当然、風水とか陰陽道とか時代によってはそういったオカルト的なものもありますし、中国がそういう宗教的なものを持っていないと否定する気はありません。ただ、そういうことを踏まえても中国の徹底した現実主義はあくまで非論理的と言っていい宗教を徹底的に排除します。これは中国の思想的な強さを端的に表すものであり私が中国に敬意を表す部分でもあります。
最後にもう一つ秦の始皇帝から前漢に入る陳勝・呉広の乱(前206) の陳勝が吐いた名言です。
「王候将相いずくんぞ種あらんや 」(訳 誰が王や大臣になろうと思うままだ。=下剋上万歳!!)
日本人がこの感覚を掴むまでは15世紀に入る戦国時代まで待たなければなりません。
真面目なこと書いたよー!!ちなみに私は老荘思想が好きです。
おしまい