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大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇

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大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇

を読んだ。

 この本はメモをするべき箇所が多かった。以下、抜粋。

『サイパン島への配備が決まったのは昭和18年の九月であり実際に島に到着したのはよく19年の4月である。その2ヶ月後の6月に米軍が上陸。大本営作戦課の中に「よもやサイパンまで米軍は来ないだろう」という妙な安心感があった。(p128)』

『-徹底的に討論して持久策を採用すると話し合った後に砲撃を受けて-日本人にはどうも持久、遅退、防禦が不似合いな性格なのか、あれほど三大拠点で持久という大方針を示されながら眼前の戦況を見て頭に血がのぼってしまったらしい。(P236)』

『日本人は実に情報的におめでたい人種であった。2世で肌の色が同じで、日本語を話せば日本人だと思ってしまう。日本人は日本人を疑うことを犯罪と考えている。日系人を一網打尽に強制収容したのは、日系人の一部を通じて米国内に組織されていたちスパイ網を壊滅するためであって、民主主義とは言うものの、その裏に蔵している戦争に対する冷厳な認識ぶりを改めて考えてみる必要がある。(P240)』

『日本軍の暗号解読によって6月からB-29特別機(つまりエノラ・ゲイ)が何かしらの特殊指令をしていることを把握していた。ただ、それが原爆だということは読み取れていなかった。8月11日に暗号解読機によって初めてnuclearという言葉を解読した。あと一週間早ければ・・・(P256前後)』

『米軍の九州上陸の情報判断は第二部長、第6課長を通じて作戦課にれんらくされたが、われわれが直接作戦課の部屋に入っていけるような空気はまったくなかった。。堀には、このような帝国最終の緊迫状態の中でも、作戦課とは大本営の中のも「もう一つの大本営」であり、その作戦課の中には「もう一つの奥の院のような中枢」があるかのように感じられた。(P264)』

『日本の暗号解読などの諜報班も結構仕事をしていたのだが、敗れたため全てを焼却
してしまって検証ができない。』

絶対国防圏内のサイパンでさえ兵が配備されず、配備決定にも関わらずおよそ半年以上未配備の状態が続いていた。米軍が来襲する2ヶ月前に到着では、とてもではないが防衛準備などできるはずがない。それにしても日本は米軍の出方を日本軍の感覚で捉えていますね。

驚くべき事は日本側でも原爆を察知していたことである。特にサイパンに飛んできたB29がワシントンに向かって驚くべき長文電報を打っており、異例の出来事に無線傍受班も俄然騒然となったことだろう。またB29のサイパン出撃もつかんでおり迎撃はできた。(ただ飛行機がないので迎撃ができなかった。来ることはレーダーを使わずに察知していたのだ。)

下の「日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条」でもそうだが、日本のフィリピン戦は本当に酷かったらしい。

大本営の作戦参謀は現場に来なかった。常に内地の東京で作戦を組む。これでは現地を把握できるはずがない。かといって現場のフィードバックを拒む。組織としては最悪である。

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