願はくは花のしたにて春死なん そのきさらぎの望月の頃
(『山家集』上 春 77)
願わくは、春、桜の花の咲く下で死にたいものだ。あの釈迦が入滅した2月15日の頃に。
西行は、河内国南葛城の弘川寺にて2月16日になくなる。
和歌
小倉百人一首より
秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ(第1番;天智天皇)
(解釈) 秋、田に実った稲の穂を刈る季節――田の側の掘っ建て小屋は屋根の苫の目が荒いから、私の袖は落ちてくる露でぬれ続けていることだよ。
奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき(第5番;猿丸大夫)
(解釈) 山の奥深くで、積もったもみじを踏み分けて妻を恋い慕って憐れに鳴いている鹿の声を聞くときには、何にもまして秋が悲しく感じられる。
み吉野の山の秋風 さ夜更けて ふるさと寒く衣打つなり(第94番;参議雅経)
(解釈) 吉野の山から冷たい秋風が吹き降ろし、夜も更けて、かつて都であったこの吉野の里は更に寒くなり、砧で衣を打つ音が寒々と聞こえてくることだよ。
いわゆる三夕(さんせき)というのは、いずれも上の句が「なかりけり」、下の句が「秋の夕暮れ」で終わる有名な三つの句のこと。以下の三つである。
寂しさは その色としも なかりけり 槙立つ山の 秋の夕暮れ
寂蓮法師
心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ
西行法師
見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ
藤原定家
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