日本国というものは私が生まれてくる以前から存在していました。存在していると気がつかないものが多いですが当然、昔は日本国もなければ地球上に国家というものは存在していませんでした。必要は発明の母といいますが国家は造られたものです。
では一体なぜ国をつくったかというとそこに住んでいたいた人の安全を確保するためです。つまり、生存を確保するために食料の安定供給と、その食料の強奪をも含んだ盗賊や近隣の集団などからの生命の確保(たとえば河川の利用や狩猟の縄張り争いによる喧嘩や騒乱)そういったものからの防衛、「食の安全と生命の安全」が国家を創造した目的です。
そういった意味で国家において安全保障は最重要ファクターでしょう。それと現在では重要視されませんが、そういったことを考慮すれば近代に到るまでは農業政策が国家の最重要ファクターですね。話はそれますが日本は真剣に食料自給率を上げたほうがいいですね。アメリカの政策に「世界最大の工業国は世界最大の農業国でもあるべきだ」という国策があります。正直、大豆と小麦は頼りすぎ。確かに日本の国土でテレビを作るのと小麦を作るのだったらテレビを作るほうがよっぽど効率がいいです。けど、効率の問題ではないんですよね。
さて、日本国の最高法規は憲法です。法律の法律ですね。日本国憲法が現在の日本の憲法ですが、私は「日本国憲法」と「日米安全保障条約」を併せたものが憲法だと思っています。それは憲法において九条が果たせなかった役割を日米安保(以下安保)が補完しているからです。憲法9条は非常に素晴らしい条文です。理想的といってもいい。たが、いつでも理想主義は過酷な現実とぶつかります。公布された当初はアメリカによる保護占領下にあってそれこそ安定した生活を送ることができた。しかし冷戦期、朝鮮戦争が始まって共産圏から日本を守るものとして「軍隊不保持」の理想論ではニッチもサッチもいかなくなってしまった。
そういった意味で安保条約は憲法を変えずに日本を現実的な路線へと引き戻すための役割を果たしたし、実際この条約より重要な条約は戦後50年を通して結ばれていない。ここに理想と現実のギャップが生まれてしまった。現在でも憲法は理想を掲げることができるのはこの日米安保のためです。日本は戦争をしなくていい、と公言できるのも沖縄にある米軍基地のおかげです。冷戦期のソ連も現在の中国も手が出すことができない。そういったいびつな形での現実的な米軍の保護によって初めてこの理想的な憲法を保持することができたのです。
日米安保というものは今後も続けられる条約だと思います。日本が他に同盟を結ぶような理想的な国家が出現するのは難しいことですね。冷戦期に日本がアメリカの保護下によって軍事費を抑え、経済で世界を圧倒する国家となります。そしてアメリカは日本に基地を持ち日本を西側陣営に保持し続けると共に、その影響力によって共産主義の拡散を防いできた。そういった意味でこの50年間は日米の蜜月関係であったと言っていいと思います。けど、憲法と異なり多国間と結ぶ条約は永遠ではない。永遠ではないのであれば今のうちに憲法を改正し、理想論から「できる限り理想を謳った現実的な憲法」に改正した方がいいと思います。
憲法9条をよく戦争反対を旗印に盲目的に保持すると言う人達が多くいますが、私から言わせれば、彼らこそ戦争を呼び込んでいるような気がしてなりません。反対の声を恐れずに憲法改正を唱える人達こそ、戦争放棄の精神を継承した真の意味での憲法9条保持者ではないのかと思います。憲法9条を大切にしたい、だからこそ改正する必要がある。そういった逆説的な考えることができるのではないかと思います。今の世の中誰もが戦争をやりたいとは思っていません。そういった意味で戦後の日本の教育は成功したと思います。ただ、アプローチの方法が違うだけなのだと思います。
平和な世の中はつまらない。つまらないけれども、平凡な何気ない日常にこそ、気がつかないが故の面白い人生が棲んでいるのだと思います。平和な世の中で暮らしたいものですね。 おしまい